朝日新聞1974年3月1日記事




電卓業界ただいま異変
日本計算機が倒産
過当競争・モノ不足響く 販売部門のビジコンも
 電子式卓上計算機の業界の値引き競争とモノ不足の影響を受けて、電卓の中堅メーカである日本計算機(本社大阪府茨木市、資本金4940万円、小島義雄社長)とその販売会社であるビジコン(本社東京、資本金1億5千万円、小島義雄社長)が28日倒産した。成長産業である電卓業界で、一時は10%のシェア(市場占有率)を持っていた中堅企業が倒産するのは初めて。業界では依然として過当競争が続いており、石油ショックによるモノ不足や金融引締めが続けばさらに倒産するメーカーがでることも心配されている。
 日本計算機は27日夕、大阪地裁民事部に会社更生法の適用を申請、同地裁は28日同社の債権保全命令を出した。またビジコンは2月4日に3800万円の不渡り手形を出したのに続き、28日にも7000万円の不渡り手形を出し倒産した。民間の信用調査機関の調べによると、日本計算機の負債額は約29億円、ビジコンは20億円とみられている。日本計算機は「ビジコン」の商標で電卓や手動式計算機を生産し、ビジコン社が販売を担当していた。
 日本計算機は戦後まもなく手動式計算機を生産し、30年代にはタイガー計算機に続きこの業界で第2位を占めていた。39年頃から電卓にも進出、シャープ、キャノンなどと共に先発メーカーの一つに数えられていた。電卓でも45年ごろには10%のシェアを持ち業界の第4位をしめたほど。46年1月には世界で初めてLSI(高度集積回路)を使った超小型の電卓を生産して注目された。また海外事業にも積極的に進出し、米国、メキシコに現地法人の販売会社を設立したほか、米国ナショナル金銭登録機(NCR)などとも販売提携を結んでいた。ところが国内市場の慢性的な過当競争のうえに46年8月のニクソン・ショックにより生産(月産3−4万台)の70%近くを占める輸出がふるわなくなった。去年9月ごろからの石油ショックによる塩化ビニール、表示管などの不足と金融引き締めも加わり、業績は急激に悪化した。特にモノ不足の影響は大きく、去年前半は月3−4万台の生産ができたのに去年末は月1万台しか生産ができなかったという。
 日本計算機は従業員約300人で年間売り上げ30億円、ビジコンは従業員100人で年間売り上げ約70億円。日本計算機は京都府・峰山町に5千平方メートル、大阪府茨木市に約1万5千平方メートルの広さの工場を持っており、市原孝一常務は「こうした資産をもとに再建を図っていく」としている。しかし、業界の過当競争はますます泥沼化しており、債権は難しいとみる向きも多い。
「1万円以下」で激戦
 電卓メーカーの日本計算機が28日に倒産したが電卓業界では、シェア確保のために激しい値下げ競争が続けられており、業界内部では「採算がとれているメーカーがどれほどあるか。大手メーカーといえども楽ではないはず」という声まで出ている。シャープが去年5月初めて1万円を割る9980円の3桁表示計算機を販売したのに対して、カシオ計算機が2月20日から6桁表示の計算機を8900円に下げた。続いて事務機メーカーの栄光ビジネスマシン(本社東京、高橋重年社長)も3月1日から8桁表示を8990円で発売する。各社とも1万円を割る競争をしており、松下電器産業、三洋電機も1万円以下の電卓の販売を検討している。
 こうした激しい競争に日本計算機はついていけなかったわけだが、大手メーカーも楽ではないようだ。特約店や販売店を台湾、韓国などへの旅行に招待したり、かなりの額のリベートを払うなど、激烈な販売競争が行われているという。こうしたことまでして販売しているのは、市場の成長が今後見込めるからだ。シャープの佐伯旭社長は、今年の全国の販売台数は、去年の1020万台の20%増の1200万台とみている。とくに今年は個人用が82%と需要の大部分を占めると見通している。業界の中には1500万台という強気の見方もあり、こうした成長市場にクサビを打つためにも、一時のカラーテレビのような採算無視の値下げ競争が続きそうだ。